懲罰軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 09:23 UTC 版)
モスクワ公イヴァンは、北東ルーシの覇権をめぐり、アレクサンドルらトヴェリ公と長年にわたって対立していたモスクワ公家の出身である。ウズベク・ハンの元に赴いたイヴァンは、自身がトヴェリを懲罰することを説き、ウズベク・ハンの5人のテムニク(万人長。すなわち5万の軍勢)とともにトヴェリ公国に侵攻した。スーズダリ公アレクサンドル(ru)もまたこの軍勢に加わった。トヴェリ、カシンをはじめとするトヴェリ公国の諸都市は占領され、各地に火が放たれた。トヴェリ公アレクサンドルは、ノヴゴロドを経てプスコフへと逃亡した。ロシア史上では、この懲罰戦争を「フェオドルチュクの侵寇(Федорчукова рать)」と呼ぶ。
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