憩いの園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 01:42 UTC 版)
「渡辺トミ・マルガリーダ」の記事における「憩いの園」の解説
当時のブラジルには、身寄りを失った日本人の老人たちが、オザスコなど、ブラジル各地の慈善団体の施設で暮していた。移民当時は数年働いて金を稼いで帰国するはずが、仕事が成功せずに帰国できず、すでに郷里の家族を喪ったか、行方がわからない者たちだった。結婚できなかった者、言葉の問題から子供や孫とうまく接することができない者、妻や子供に先立たれた者、様々な理由で孤独な境遇を強いられる者も多く、皆が望郷の念を募らせていた。 トミは、ブラジルの言語にも生活習慣にも馴染めない高齢者たちのために、日本同様に生活できる施設を構想したが、先立つ資金がなかった。そんな折に聖フランシスコ修道院から、サンパウロ郊外グアルーリョスの土地、約24ヘクタールと付属施設が、救済会へ提供された。 1958年5月25日、日系老人ホーム「憩いの園」が開園した。望郷の念を募らせる入居者たちのために、毎日の献立は必ず味噌汁が出、入居者たちは魚の煮つけや漬物など、懐かしい日本食に舌鼓をうった。この1958年は、第1回移民船である笠戸丸がブラジルに到着してから丁度50年目にあたり、サンパウロ市では「日本人移民50年祭」が盛大に開催された。 1959年、それまで憩いの園の副会長であったトミが、会長職を引き継いだ。トミは救済会の仕事に加えて、憩いの園の仕事で、運営資金の募金活動、入園者の世話など、さらに多忙さを増した。
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