慈照寺の創建
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正確な創建年代は不明。『甲斐国社記・寺記』に拠れば室町時代の延徳元年(1489年)の創建と伝わるが、これは曹洞宗寺院に改修された時期で、これ以前から前身の真言宗寺院・法城寺が存在していたという。 慶応4年の由緒書に拠れば、延徳元年に真翁宗見が入山し、曹洞宗寺院に改宗したという。『広厳大通禅師譫語集』『昭和再版妙亀譫語集』によれば、真翁宗見は武蔵国足立郡の岡部氏の一族であるという。慈照寺開山となる前は武蔵国小山田郷(東京都町田市)の大泉寺で修行し、甲斐の竜華院で桂節宗昌について修行していたという。 いっぽう、『寺記』や慶応4年(1868年)由緒書に拠れば、開祖は甲斐武田氏家臣である「諸角昌清(豊後守)」とされる。「昌清」は『甲斐国志』では実名を「虎定」としているが双方とも誤りであることが指摘され、確実な実名は「虎光」とされる。また、姓についても「両角(室住)」が確実とされる。『寺記』によれば虎光は武田信昌の六男とされ真翁宗見の実弟とする説があるが、誤伝である可能性が指摘される。 『寺記』によれば虎光は永禄4年(1561年)の川中島の戦いで戦死したと伝わる。 慈照寺には正保4年(1647年)鋳造の梵鐘が伝来している。この梵鐘銘文には「甲州巨摩郡志麻荘西山郷龍王村」と記される。「志麻荘(志摩荘)」は12世紀後半までに松尾社領として成立した荘園で、『甲斐国志』によれば荘域は甲府市山宮町・甲斐市牛久付近を北限に赤坂台地東麓の甲斐市中下条・大下条・名取、長塚、甲府市長松寺町、金竹町一帯を含む。 永禄8年(1565年)までには信玄堤の築造が行われ、龍王河原宿の成立に伴い慈照寺の所在する「西山郷」は消滅する。このため梵鐘銘文の「志麻荘」は寺の本来の所属を示し、寺の所在する「西山郷」は志摩荘西限に位置していると考えられている。
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