慈照寺の創建とは? わかりやすく解説

慈照寺の創建

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:11 UTC 版)

慈照寺 (甲斐市)」の記事における「慈照寺の創建」の解説

正確な創建年代不明。『甲斐国社記・寺記』に拠れば室町時代延徳元年1489年)の創建と伝わるが、これは曹洞宗寺院改修され時期で、これ以前から前身真言宗寺院・法城寺が存在していたという。 慶応4年由緒書拠れば延徳元年に真翁宗見が入山し、曹洞宗寺院改宗したという。『広厳大通禅師譫語集』『昭和再版妙亀譫語集』によれば、真翁宗見は武蔵国足立郡岡部氏一族であるという。慈照寺開山となる前は武蔵国小山田郷(東京都町田市)の大泉寺修行し甲斐竜華院節宗昌について修行していたという。 いっぽう、『寺記』や慶応4年1868年由緒書拠れば開祖甲斐武田氏家臣である「諸角昌清豊後守)」とされる。「昌清」は『甲斐国志』では実名を「虎定」としているが双方とも誤りであることが指摘され確実な実名は「虎光」とされるまた、姓についても「両角(室住)」が確実とされる。『寺記』によれば虎光は武田信昌の六男とされ真翁宗見の実弟とする説があるが、誤伝である可能性指摘される。 『寺記』によれば虎光は永禄4年1561年)の川中島の戦い戦死したと伝わる。 慈照寺には正保4年1647年鋳造梵鐘伝来している。この梵鐘銘文には「甲州巨摩郡志麻西山龍王村」と記される。「志麻荘(志摩荘)」は12世紀後半までに松尾社領として成立した荘園で、『甲斐国志によれば荘域甲府市山宮町甲斐市牛久付近北限赤坂台地東麓甲斐市中下条大下条名取長塚甲府市長松寺町金竹町一帯を含む。 永禄8年1565年)までには信玄堤築造が行われ、龍王河原宿成立に伴い慈照寺所在する西山郷」は消滅するこのため梵鐘銘文の「志麻荘」は寺の本来の所属示し、寺の所在する西山郷」は志摩荘西限に位置していると考えられている。

※この「慈照寺の創建」の解説は、「慈照寺 (甲斐市)」の解説の一部です。
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