慈眼寺本尊の聖観世音菩薩についての伝記
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「慈眼寺 (新潟県出雲崎町)」の記事における「慈眼寺本尊の聖観世音菩薩についての伝記」の解説
昔、慈眼寺がある上中条集落は山々に囲まれ、すぐ後ろには日本海が広がり、住む家も少なかった。この沢に大きな池があり、その池には恐ろしい毒蛇が住んでいたという。 ある日のこと、この村へどこからともなく行脚してきた一人の僧があった。薄汚い衣を着て、編み笠をかぶり、脚絆・草鞋という姿であった。旅の僧は、この不幸な話を聞き、何とか村人の恐怖を救ってやろうといって、恭しく刀をとり、一心込めて聖観世音菩薩の像を刻んだ。そして、でき上がった尊像を前に心静かに読経をし、毒蛇調伏の祈祷をした。 やがて読経が終わると、不思議にも今まであたりに立ちこめていた霧のような毒気が晴れ、毒蛇の姿はどこにも見られなくなったという。 この旅僧は行基菩薩と伝えられ、聖観世音菩薩像は、諸人の祈願に、霊験あらたかといわれている。 — 『出雲崎町史』より[要文献特定詳細情報] 現在、聖観世音菩薩像は、本堂内の釈迦牟尼仏如来坐像の後ろの厨子に納められている。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 この項目は、新潟県に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の都道府県/新潟県)。
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