悪玉姫 = 山の神説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 14:09 UTC 版)
堀一郎は、論文「田村文芸の信仰背景」の中で田村も立烏帽子も山神神話の変化で、換言すればいわゆる武甕槌神と建御名方神の国津神に対する天神遊幸征討の中世的一形態であり、ないしは富士・筑波や蘇民将来の古風風土記伝説の文芸的展開でもあると論じている。 阿部幹男は、堀の論文を受け『田村三代記』は巫覡(修験、巫女、陰陽師)・盲僧がいだいた幻想によって創出されたもので、基本的構造は「山神の本地」の筋立と成巫儀礼の形態を用いた悪玉姫が登場する前半と、巫女の託宣形式を用いた立烏帽子が登場する後半で展開されていると論じている。 また醜悪な姿の山神は修験道の開祖・役行者や羽黒修験の開祖・蜂子皇子の姿で、性を越えて役行者の母や『田村三代記』の利仁の母・悪玉に引き継がれたとする。悪玉の他にも奥浄瑠璃『常盤御前鞍馬破』「役の行者誕生譚」の一節では大和国の悪女御前という女人が産んだのが役行者になったと語られ、説教節『苅萱』高野の巻では空海の母御は三国一の悪女が、軍記物語『源平盛衰記』では坂田金時の母上は足柄山に棲む醜悪なる山姥が登場する。阿部はこのような説話を「悪女説話」と称した。
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