思想・主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 01:29 UTC 版)
三山は温かい人柄で知られ、漱石をはじめ多くの人に慕われた。また、明治政府首脳とたびたび面会し、ロシアとの開戦を唱える主戦論派でもあった。日露戦争開戦後は挙国一致を紙面で訴えて政府に惜しみなく協力した。しかし、ポーツマス条約の講和内容に憤慨し、一転して明治政府を非難する記事を掲載したために、政府によって新聞の長期発刊停止処分を受ける。 「新聞は商品であり、記者はその商品を作る職人」 「文章は平明で達意であるべし」 このような彼の持論は朝日新聞の編集方針となり、同社の近代化に大きな貢献を果たした。 窪田空穂と面会した際、「この頃の学校出の役人の文章を見ると、悪い風があっていけない。何ていうのかな、まあ、新聞の文章の真似をしたという風がある。ああいう人たちこそ、文章を改良して行くべきだのに、かえって新聞なんて、文章にも成っていない物の真似をするなんて、困ったものだ。文章には文字の働きってものがなくちゃね」と語ったという。
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