応援歌としてのエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:56 UTC 版)
「ハイサイおじさん」の記事における「応援歌としてのエピソード」の解説
沖縄県代表校の応援は本土の県人会を中心に行っているが、他に同県出身の教諭が指導している市立尼崎高校の吹奏楽部も毎年友情参加している。沖縄県代表の応援に、学校を問わず「ハイサイおじさん」が必ず使われるのはこれが理由とされる。 沖縄県出身の元プロ野球選手であるデニー友利が横浜時代、登場曲として使用したことがある。首脳陣から「あの曲は気が抜けたような感じがするから変えなさい」といった趣旨の指摘をたびたびされたが、自分の生まれ故郷に愛着を持つデニーは決して曲を変えなかった。 2010年、「遊郭を遊び歩く酒飲みおじさんをからかう原曲の歌詞が、高校野球にそぐわない」という内容の投書が地元の沖縄タイムス紙に掲載されたことにより、第92回沖縄県代表校興南高校野球部OB会は使用自粛を決めた。後日掲載された沖縄タイムスの記事によれば、その是非を議論しないまま使用を先送りしていたという。 沖縄県代表校OB会が決めた甲子園での使用自粛はごく短期間のみ実行された。数日後の8月20日、2010年夏の甲子園準決勝(興南-報徳学園)において市立尼崎高校吹奏楽部が五回表と七回表の興南の攻撃場面で演奏した。甲子園球場応援席は演奏に湧き、その様子はテレビ放送各局で広く報道された。報道は「ハイサイおじさん」演奏を肯定的に報じる傾向が趨勢を占めた。併せて、実際に吹奏楽部の演奏を指導した市立尼崎高校教諭は取材に対し経緯を語り、沖縄県代表である興南サイドに事前に演奏の予定を知らせ了解を得た上で演奏したものであったことが報じられた。なおこの大会では興南が自粛している間にも長崎日大(沖縄尚学初優勝時の監督である金城孝夫が監督を務めていた)が沖縄県出身選手の打席で「ハイサイおじさん」を演奏していた。 2014年秋には当時の優勝メンバーである我如古盛次・大城滉二が進学した立教大学硬式野球部でも応援曲として使用されていた。 興南の次回出場は2015年の夏であったが、この際は「野球部員からのリクエストがない」という理由により甲子園でハイサイおじさんが演奏されることはなかった。これ以降の興南出場時には再び演奏されているため、沖縄代表の試合で演奏されなかったのはこの年が唯一となっている。 2010年代以降はいわゆる「野球留学」により沖縄県出身の選手が他県の学校に進学するケースが増え、それらの学校でも演奏されるようになっている。
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