志士詩歌集
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明倫歌集は嘉永4年(1951年)序である。黒船来航前であり、したがって幕末維新の志士の歌を収めない。 いわゆる志士詩歌集は、幕末から明治10年代(1877~1886年)にかけて成立した。幕末志士の詩歌はもともと獄中の気力を鼓舞するものであったが、明治維新以降、国家の祭祀・顕彰・教化と結びついた。民間有志が志士詩歌集を編纂した。近代国家像を支えるものであった。しかし1877年以降、明治政府が過激な勤王心に警戒するようになると、志士詩歌集は文明開化の陰に埋もれた。そのため出版されなくなっていった。 志士詩歌集の中に城兼文『殉難草』4篇(1869年)がある。志士詩歌集は動乱の中で収集されたため不正確なものもあるが、その中で『殉難草』は比較的正確であるといわれる。収録数も最も多い。和歌だけでなく、漢詩、狂歌、俳句、今様、俗謡の類いも収録されている。志士の略伝をも添える。また同著者・同年板行の『近世殉国一人一首伝』は、後年『新志士勤王詩歌評釈』の底本になるほど評価されていた。
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