御所の内部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 16:52 UTC 版)
家相において鬼門を恐れる長年の言い伝えは、すべて京都御所の「猿ヶ辻」が基になっているが[要出典]、京都御所の内部には鬼の間が存在していた。鬼の間は、御所の仁寿殿の西、後涼殿の東にある清涼殿南西隅の一室であり、すなわち裏鬼門の位置にある。康保元年(964年)、大和絵師の飛鳥部常則がこの部屋に鬼を退治する白沢王(はかたおう)像を描いたとされている。順徳天皇が著した『禁秘抄』にこれに関連する記述がある。白沢王は一人で剣を掲げて鬼を追う勇姿で描かれ、古代インドの波羅奈国の王で、鬼を捕らえた剛勇の武将であるという説がある。現在の建物(鬼の間)に、白澤王の絵は描かれていない。なお、江戸時代中期の随筆『夏山雑談』には、白沢王は李の将軍、「白澤王」としても記されている。 これについて、家相を研究する小池康寿は著書『日本人なら知っておきたい正しい家相の本』において、京都御所や天皇家が鬼の災い、神の祟り(自然災害、火災、疫病の蔓延)を恐れて築地塀を凹ませていたとするより、庶民に災厄が及ばぬように皇室が一手に凹みで受けとめ、御所内部の清涼殿鬼の間に導いて鬼を切り倒すことで世の安泰を願っていたと解釈した方が自然であると論じ、外から見た御所の塀の凹みのみに注目した庶民の単純な考えが鬼門除けの発想に繋がったと考えるのが理に適うとしている。なお現在でも、皇居の鬼の間は一般公開されておらず、多くの家相学者や民俗学者の家相文献には、鬼の間の存在に関する記述は見られない。
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