当事者の回想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 03:16 UTC 版)
アイゼンハワー元帥は著書「ヨーロッパ十字軍」で「ルールのあとの当然の目標はベルリンであった。(中略)しかし、私は熟慮の末、ベルリンは連合軍にとって論理的または最も望ましい目標ではないと判定した」と回想しており、首席補佐官ウォルター・ベデル・スミス中将はその熟慮が「『国家要塞』、『ヴェアヴォルフ』、『占領地域』、『3月21日のブラッドレー大将の意見』、そして決定的には『3月21日のマーシャル参謀総長の電報』」によるものだったと回想している。また、ブラッドレー大将は「『要塞』が少数のナチ要人の夢想の産物であったと知ったのは、戦争が終わったあとであった(中略)当時は、しかし、存在を信ずるに足る根拠があると思った」と回想している。 ブルーク参謀総長は戦後、「『国家要塞』は完全な敵方のデマであり、それは我が英軍情報部が看破して、最高司令官にも通報した。「ヴェアヴォルフ」もほとんどがドイツ側の宣伝である。(中略)もし、これらの問題を基礎にしてベルリン進撃を中止したとすれば、アイゼンハワーの責任は重い。ドイツ側の謀略にのせられ、かつ、自身の任務外である政治的配慮にのめりこみすぎて、かえって戦後世界に重大な悪影響を与える結果になったからだ。」「オーデル川からエルベ川まで約80マイルをソ連軍にまかせ、彼らに実質的な対独勝利者の地位を与えてしまった」と非難している。
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