弩級戦艦以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 00:50 UTC 版)
大砲技術が発達し艦砲で撃沈が可能になると、舷側に穴を空けて多数の艦砲を並べると被害を受けやすくなった。 そのため砲数を減らし、1門あたりの威力を高め、敵艦砲に耐える装甲を施すこととなり、装甲艦の時代となった。技術開発が進み、砲の大きさ(口径・口径長)が威力と比例するようになった。戦列艦から装甲艦への移行期には小型化が見られたものの、大砲・動力・造船技術の進歩にしたがって軍艦は巨大化していった。そして木製艦体に装甲を施した装甲艦から、艦体自体を鉄鋼製とした艦へと移行、大型の艦体と搭載砲を持つ戦艦と、小型の偵察などを目的とする巡洋艦へと分岐した。 近代戦艦の始祖とされるのはロイヤル・サブリン級戦艦である。なお、1895年から順次竣工したマジェスティック級戦艦が、30.5 cm砲4門の主砲を搭載、そしてその砲の威力に対応する装甲を持つ、前弩級戦艦の基本形を確立した。しばらくは各国ともこの様式で戦艦を建造したが、1906年にイギリスで完成した「ドレッドノート」によって主砲4門の枠が外された。この艦は従来の戦艦に比べて飛躍的に向上した攻撃力と機動力を有し、建造中の戦艦をも一気に旧式にするほどの衝撃を与えた。そのためこれ以後世界の海軍は「ドレッドノート」を基準とし、これらを弩級戦艦と称する。
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