建設と戦時中の使用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 07:00 UTC 版)
「チャーチル博物館」の記事における「建設と戦時中の使用」の解説
内閣戦時執務室は第二次世界大戦が勃発した1939年に使用が開始され、主にチャーチル内閣で使用された。施設は厚さ1-3メートルの厚いコンクリートスラブで防護された掩蔽壕形式で、1939-1945年の間、100以上の閣議が開催された。 一般公開されているのは大規模な施設のごく一部だけで、当時の施設の延べ床面積は3エーカー(12,000m2)と非常に広く、食堂、病院、射撃室と最高528人のスタッフのための宿泊施設を含んでいた。施設の中心は当然ながらチャーチルの戦時内閣が閣議を開いた閣議室である。閣議室近くに位置する作戦室(英語: Map Room)では戦争の指揮進行がされた。作戦室は戦後閉鎖された当時の状態が復元され、壁には往時の地図が掲げられ、机の上には電話機が並んでいる。博物館の音声解説によれば、寝室が近くにあるにもかかわらず、チャーチルは三晩作戦室に泊り込んだとのことである。この掩蔽壕設備の特徴の一つに、チャーチルがアメリカはワシントンのホワイトハウスにいるルーズベルト大統領と安全に話すことができた盗聴防止装置付きの電話(SIGSALY)があり、電話室は首相の洗面所に偽装されていた。
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