年齢推定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/12/26 15:55 UTC 版)
1977年、カナダ・Pacific Biological Stationの Dick Beamish と Doris Chilton は、第二背鰭の第4-8鰭条の断面から年齢を推定する手法を提案した。この手法は、オキシテトラサイクリンによる標識調査によって有効であることが確認された。他の方法としては鱗と耳石を用いたものがあるが、高齢個体の年齢を過小評価してしまうことが明らかとなっている。 作業の内容は鱗・耳石を用いる場合とあまり変わらず、断面を顕微鏡で観察し、年に1つずつ形成される環を数えることで行われる。鰭条は正しい角度で切断しなければならず、根元からの距離も重要であるため、鰭は根元から採集されて乾燥させた状態で保存される。 老齢個体では、1-2年目に作られた環が再吸収されることがある。このため、幼魚から得られる1-2年目の環のデータから、老齢個体の3年目の環の位置を推定することになる。
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年齢推定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 03:18 UTC 版)
1976年、九州大学工学部の真鍋大覚助教授により、周囲の樹木の年輪測定、幹周の大きさなどから、樹齢7,000年以上と推定され話題になった。しかし、その後の調査で古木の周囲を3本程度の若い木が融合して包み込んでいる合体木である可能性が浮上し、外側の若い木の部分の年代測定では樹齢約2,700年と判定された(芯部の古木は樹体保護のため未調査)。ただし、鹿児島大学農学部が縄文杉のパーオキシダーゼをアイソザイム分析した結果、縄文杉は合体木ではなく一つの木であることが証明されている[要出典]。また、調査によって倒木更新の痕跡も発見されている。 また約7,300年前に鬼界カルデラから広がった幸屋火砕流によって、屋久島を含む九州南部諸島の大型植物は全滅したと考えられており、縄文杉の樹齢は古くとも4,000年以上はさかのぼらないとするのが定説になっている。一方で、後代に持ち込まれた記録の無いヤクシマザルなどの大型動物が現存していることから、屋久島全体が火砕流に飲み込まれたのではなく一部の動植物は生き延びたのではないかとする意見もある。
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