平面交叉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/20 05:41 UTC 版)
1901年9月1日から1907年7月まで、当馬車鉄道は青梅鉄道と小作 - 青梅間(当時は東青梅駅・河辺駅は未開業)の勝沼第一踏切で平面交叉を行っていた。 交叉は青梅鉄道の線路に対して街道が斜めに走っていたため、いわゆるダイヤモンド・クロッシングの形となった。当初は特に何の安全対策も行われていなかったが、1903年以降は青梅鉄道との間で契約を結び、きちんとした保安設備を設けることになった。 それによると、棒状のハンドル可動式車止め装置を馬車鉄道側の線路に設けておき、その開閉と青梅鉄道側の信号とを連動させておく。そして踏切番を1名配置させておくのである。そして青梅鉄道の列車が踏切を通過する場合、次のように操作を行う。 小作駅を列車が発車後、直ちに青梅駅にその旨連絡。青梅駅を経由して踏切番小屋にベルで列車の接近が通報される。逆の場合も同じ。 踏切番がハンドルを操作し、車止めを下ろして馬車鉄道の線路を遮断、列車が進入出来ないようにする。 車止めの操作に伴い、青梅鉄道側の信号が進行現示に変わり列車通過可能となる。 車止め作動時、馬車鉄道側に対しては手信号で線路遮断を知らせる。 列車通過後、ハンドルを操作して車止めを上げ、馬車鉄道の線路を開放。 なお、これらの保安装置一式にかかる費用や人員は当馬車鉄道と青梅鉄道とで分割負担されていたが、負担は線路を渡ることになる当馬車鉄道の方が多く、土地や保安装置の購入はすべて当馬車鉄道の負担であったほか、青梅鉄道に諸経費として年200円を支払っていた。
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