平和相銀解体と住銀への吸収合併とは? わかりやすく解説

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平和相銀解体と住銀への吸収合併

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 05:02 UTC 版)

平和相互銀行」の記事における「平和相銀解体と住銀への吸収合併」の解説

1985年6月中旬山口光秀大蔵省事務次官磯田一郎住銀頭取は、共にゴルフ興じその場磯田が平和相銀買収意思表示をし、表沙汰になると話が壊れるので、以後住銀関知しない」で通すことで両者合意したとされる。この直後から磯田具体的な合併工作指示した同年8月大蔵省吉田正輝銀行局長(奇しくも後に乱脈経営破綻する兵庫銀行最後頭取)の陣頭指揮のもとに、10人の検査官動員異例ともいえる5ヶ月間にわたる長期検査を平和相銀実施した。この検査で、融資半分占める約5千億円が回収不能不良債権であると判明する検査終了後1986年1月検査結果マスコミリークされたことや、内紛に基づく訴訟合戦過熱報道呼んだこともあり、不安に感じた預金者は預金引き出し走ったこのため1985年10月から1986年2月にかけては2370億円が流出し預金残高1兆円を割り込む事態となった同年2月6日伊坂実権派の四人組辞任翌日大蔵省OBだった田代一正会長社長に就任し、平和相銀自主再建断念表明同年10月1日住友銀行吸収合併された。合併先立ち同年7月東京地検特捜部は平和相銀事件の捜査着手神戸市内の山林売買融資について特別背任にあたるとして、同7月6日伊坂実権派4人を逮捕同月26日起訴した

※この「平和相銀解体と住銀への吸収合併」の解説は、「平和相互銀行」の解説の一部です。
「平和相銀解体と住銀への吸収合併」を含む「平和相互銀行」の記事については、「平和相互銀行」の概要を参照ください。

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