幕尻での最高優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 09:26 UTC 版)
2000年(平成12年)3月場所で貴闘力は周囲の予想を大きく裏切り、初日からただ一人12連勝を記録し優勝争いで首位を独走した。この結果を踏まえ、貴闘力には13日目に横綱・武蔵丸戦、14日目に横綱・曙戦が急遽組まれた。通常、前頭下位の力士は小結以上の三役力士および横綱とは対戦することがなく、同場所予定されていた曙 - 武蔵丸の両横綱同士の割を崩す異例の事態となった。貴闘力は両横綱に敗れて2敗を喫するが、千秋楽の時点でも優勝争いの単独トップを維持していた。千秋楽で関脇・雅山と対戦し、立ち合いの突きで一気に土俵際に追いつめられたものの、そこから逆転の送り倒しで下して13勝2敗となり、史上初の幕尻による幕内最高優勝を達成した。貴闘力は32歳5ヶ月での幕内最高優勝で、初土俵から所要102場所での幕内最高優勝は当時、史上1位のスロー記録であり、旭天鵬が2012年5月場所に所要121場所で幕内最高優勝を果たすまで最長だった。なお、この場所では3日目に十両・水戸泉と対戦しており、十両力士と対戦した力士による幕内最高優勝は1961年(昭和36年)5月場所の佐田の山以来39年ぶりである。 初優勝が決まった瞬間、貴闘力は土俵下で人目を憚らず号泣した。義父の一代年寄・大鵬が残した偉大な功績と自身の功績を息子から比較されて困惑したが、インタビューにおいて「ようやく子供に、『どうだ!父ちゃんだって強いんだぞ』と言える記録が作れました。」と喜び、大鵬も「私の32回の優勝より、今場所の貴闘力の優勝が一番嬉しい」と嬉し涙で語った。
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