幕府からの追及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 15:16 UTC 版)
北信景の大坂城籠城事件について江戸幕府から諮問された際、南部利直は本多正純、安藤直次を通して駿府の徳川家康と江戸の徳川秀忠宛に弁明の書状を送っている。その中で直綱の父は又重雅楽丞なる人物であるとしており、信景とは異父兄弟であるような書き方をしている。その際、処分を避けるため櫻庭家の系図を詐称、隠蔽した疑惑があり、後に編纂された櫻庭家系図と他の南部家の文書では、父光康の活動時期や妻の名前が異なっている。 また『祐清私記』によると、家康は「わざわざ遠い奥州の地から参陣したのは叛意の無い表れである。」として、北家や櫻庭家の処分はしなかったという。
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