市長選に立候補6回、うち当選2回
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「長尾淳三」の記事における「市長選に立候補6回、うち当選2回」の解説
1997年(平成9年)、東大阪市長選に日本共産党推薦で立候補。父・一郎が東大阪市議として長年、同じ選挙区という因縁の現職清水行雄に挑んだが、得票率34.51%(得票数5万6,696)に終わり、得票率46.10%(得票数7万5,742)の1万9,046票差で清水が3選を果たした。 しかし翌1998年、詐欺容疑などで清水が逮捕され市長3期目の途中で辞職したため、7月12日の出直し東大阪市長選挙に出馬(日本共産党推薦・新社会党支持)。得票率43.49%(得票数9万9,471)で4,847票の僅差で逃げ切り、NHK記者の松見正宣(得票率41.37%、得票数9万4,624)を破って初当選した。 2002年、再選を目指して任期満了に伴う6月30日の東大阪市長選挙に出馬。3候補で争った結果、得票率35.81%(得票数6万5,508)に終わり、前回の市長選挙で下した松見(得票率45.41%、得票数8万3,066)に大差で敗れ落選した。 2006年、任期満了に伴う7月2日の東大阪市長選挙では、日本共産党東大阪地区委員会など75団体で構成する「明るい東大阪をつくる会」の推薦を受けた形で出馬。保守系(自由民主党)分裂選挙となり、自民党と公明党推薦の現職の松見(得票率36.11%、得票数5万0,842)と、前大阪府議会議員の西野茂(府議会議員時代は自民党所属)を破り、わずか979票差(得票率36.80%、得票数5万1,821)で当選、市長に復帰した。 翌2007年9月3日、議員任期満了直前の議会で不信任決議が可決される。議会解散せず9月14日失職。9月23日投票の市議選では不信任に反対した与党・日本共産党は2倍以上の議席を獲得。一方、不信任に賛成した野党・自民党、公明党は議席を減らした。 同年10月28日の出直し市長選挙に出馬。再び西野茂も出馬し、再び保守票が二分される追い風にもかかわらず、前市議会議長の野田義和(得票率44.06%、得票数7万2,820)に敗れ落選した。 2011年10月2日、三たび返り咲きを狙い任期満了に伴う東大阪市長選挙に6回目となる立候補。三たび保守票分裂の追い風を生かせず、西野茂を上回る得票率30.78%(得票数5万7,353)を得たものの、2万9,391票差で現職の野田(得票率46.55%、得票数8万6,744)に惨敗した。
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