市川オークラ劇場の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 14:54 UTC 版)
「市川オークラ劇場」の記事における「市川オークラ劇場の時代」の解説
1965年(昭和40年)4月、同館を経営する大蔵映画がピンク映画(成人映画)の興行網「オーピーチェーン」を提唱、上野パーク劇場(台東区上野2丁目)、カジバシ座(中央区八重洲2丁目)、目黒ライオン座(現在の目黒シネマ、品川区上大崎2丁目)、池袋シネマセレサ(現在のシネマロサ2、豊島区西池袋1丁目)、横浜東亜映画劇場(横浜市中区曙町1丁目)、大宮大蔵劇場(のちの大宮オークラ劇場、当時・大宮市宮町1丁目)、立石金竜座(葛飾区立石7丁目)、笹塚パール座(渋谷区笹塚)の8館とともにこれに参加、日本シネマフィルム、関東映配、葵映画、関東ムービー配給社、ヒロキ映画などが製作した作品を大蔵映画が配給し、同月第1週からこれらの作品の上映を開始した。これを機に市川OP劇場、1970年(昭和45年)前後には市川オークラ劇場と改称した。 1984年(昭和59年)10月から改装を理由に休館したが、1985年(昭和60年)には閉館、60年を超える同館の歴史に幕を下ろした。 跡地には1989年(平成元年)1月、鉄筋コンクリート造9階建のマンション「スミノ市川」が建ち、同マンション1階には、野村證券市川支店が入居している。簱興行が本八幡駅前に経営した4館は2001年(平成13年)にすべて閉館したが、同市内の映画館は、2013年(平成25年)現在、日本毛織中山工場の跡地にあるニッケコルトンプラザ内のTOHOシネマズ市川コルトンプラザ(9スクリーン、1999年開館)、イオン市川妙典店内のイオンシネマ市川妙典(9スクリーン、1999年開館)の2サイト18スクリーンが存在する。
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