左派の風刺漫画家
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リュズは1990年代から漫画新聞『プシコパ (Psikopat)』に画を掲載するようになり、1994年から風刺月刊誌『シアン・メシャン (Chien Méchant) (猛犬注意)』の編集長を務めている。 1992年に、湾岸戦争に反対するために創刊された『ラ・グロス・ベルタ(フランス語版)』(1991年1月創刊、1992年12月廃刊)に参加。同年、活動を再開した風刺新聞『シャルリー・ヘブド』にも風刺画を掲載し、やがて、同紙において中心的な役割を果たすようになった。『シャルリー・ヘブド』は左派の新聞で特に極右を標的にしているが、1997年に極右政党「共和国運動」党首ブルーノ・メグレの妻カトリーヌ・メグレ(フランス語版)がヴィトロル市の市長に就任すると、リュズは「メグレ夫妻がヴィトロル市を牛耳る (Les Mégret gèrent la ville)」と題するコラムを連載し、極右の人種差別的政策などを非難した。1998年にこのコラムをまとめたものが『シャルリー・ヘブド』の特集号として発行されると、メグレ夫妻は「顔に泥を塗られた」として訴訟を提起し、25万フランの損害賠償金を請求したが、第一審でも第二審でも「表現の自由の妥当な範囲内である」として、無罪になった。 2002年フランス大統領選挙の第一回投票で、事前の予測に反し、社会党のリオネル・ジョスパン首相が敗退し、極右政党「国民戦線」のジャン=マリー・ル・ペンが決選投票に進んだことにショックを受け、『Cambouis (汚れた油)』という冊子を作成し、配布した。ジャン=マリー・ル・ペンを当選させないためにはジャック・シラクに投票するしかなかった。表紙には、決選投票で目を覆いながら投票箱に投票用紙を入れる男が描かれている。
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