州成立
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「ウィスコンシン州の歴史」の記事における「州成立」の解説
1840年代半ばまでにウィスコンシン準州の人口は15万人を超えた。これは州昇格の必要条件とされた人口の2倍以上に相当した。1846年、準州議会は州昇格申請を行うことを決議した。その年の秋、124名の代議員が集まって州憲法について討議した。この会議で作成された草案は当時としては過剰なくらい進歩的と考えられた。商業銀行を禁止し、結婚した女性に私有財産権を認め、アフリカ系アメリカ人の選挙権の問題については住民投票に委ねた。しかし、大半のウィスコンシン人は最初の憲法案が急進的過ぎると考え、1847年4月の住民投票で却下した。 1847年12月、2回目の憲法制定会議が招集された。この会議の結果、新しく、より中庸な州憲法が作成されウィスコンシン人も1848年3月の住民投票で承認した。このことでウィスコンシンは1848年5月29日に合衆国30番目の州に昇格することになった。 ウィスコンシンが州昇格を果たした直後に鉄道の激しい熱狂が吹き荒れた。州内で最初の鉄道路線は、1851年にミルウォーキー・アンド・ミシシッピ鉄道によって、ミルウォーキーとウォーキシャの間に開通した。この鉄道が延伸されて、1852年にミルトン、1853年にストートン、さらに1854年には州都のマディソンまで伸びた。1857年にプレーリー・デュ・シャンまでの路線が完成したとき、この鉄道会社の目標だったミシガン湖から州内を横切ってミシシッピ川に達するという計画が完成した。この直後に別の鉄道会社が独自に西はラ・クロスから北はスペリオルまでの路線を完成し、これらの都市の発展を促進した。1850年代が終わるまでに、州内を縦横に走る鉄道が他の産業の発展を促し、国内市場にその製品を送り出すことを可能にした。
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