川崎バス闘争とは? わかりやすく解説

川崎バス闘争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 17:36 UTC 版)

全国青い芝の会」の記事における「川崎バス闘争」の解説

1977年昭和52年4月12日青い芝の会全国的に有名にした「川崎バス闘争」を起こした1976年昭和51年12月神奈川青い芝の会事務所があった川崎市内路線バス川崎市バス東急バス)で、青い芝の会メンバー車椅子での単独乗車対す乗車拒否があった。青い芝の会は、運輸省(現:国土交通省)や東京陸運局(現:東京運輸支局)とたびたび話し合いの場を持ったが、当時バス車両の仕様もあり、問題解決に至らなかった。 当時バスは、床の高いツーステップバスで、車椅子リフトスロープ板もなく、車椅子利用者は介助者に抱え上げて乗せてもらう必要があり、安全上の理由介助同伴なければ乗車認められていなかった。介助者がいなければバス運転手持ち上げて乗せるしかなく、腰を痛める運転手もあった。 この乗車拒否対し青い芝の会メンバー脳性麻痺60人と支援者介助者らが全国から川崎駅前に結集駅前停車中の路線バス川崎市バス東急バス臨港バス)に乗り込みバスジャック行ったバス運転席ハンドル破壊し車内備え付けハンマー窓ガラス割り拡声器出してアジ演説するなどして暴れ、約30台のバス深夜まで立てこもった強引にバス乗り込んだり、介助者がバス乗せて車椅子障害者置き去りにしたり、バス前に座り込んで運行止めたりバス車内消火液をぶちまけるなどの実力行使出た。 この事件は、当時テレビニュース新聞などマスメディアでも大きく報じられ暴力を伴う実力行使には大きな批判もあったが、公共交通機関におけるバリアフリー乗車問題一石投じた

※この「川崎バス闘争」の解説は、「全国青い芝の会」の解説の一部です。
「川崎バス闘争」を含む「全国青い芝の会」の記事については、「全国青い芝の会」の概要を参照ください。

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