岡山市内から高梁川まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/21 01:28 UTC 版)
当時の経路を辿ると大供交差点の西までは、ほぼ国道2号別線を西へ進む。大供からは市役所筋・県道173号の西側の道路がかつての往来にあたり、鹿田小学校の南を通る小径となる。道なりに進むと、大野辻あたりで旧2号線と交差し、北側へと渡る形になる。そして西進し、笹ヶ瀬川を川沿いに下り、旧2号線の南側へ。白石橋付近で西側へ渡り、久米地区へ入る。一方通行の標識が続く道が鴨方往来であると比定され、さらに西に進むとJR山陽本線と交差し、これを越えて庭瀬に入る。 JR庭瀬駅前で県道151号を通過した後は、市街地を抜けて足守川を渡ると撫川地区である。次は川崎医科大学(松島)の看板を遠望に直進する。松島地区では中庄駅との間付近の小径をさらに進み、旧2号線と交差しこれを越える。倉敷北中学校を回り込む様に進むと、後はほぼ直進する。このあたりが生坂地区に一番近付くものの、鴨方往来自体はそこには向かわない。また、現在の倉敷へも寄らず、船穂に向けて直進する。JR西阿知駅まではかつての往来と並行する形で北側に県道60号が都市計画道路として整備されている。尚、この付近は明治の改修までは高梁川の東縁(東高梁川)であり、堤防道路の名残りがある。高梁川以西(郡の境は酒津付近から両高梁川の中程あたりに設定されていた。)が旧浅口郡(この頃の連島は浅口郡)である。 JR西阿知駅の北側では、近世と近代の鴨方往来が分岐する。近世の鴨方往来は更に県道60号と並行して進み、船穂橋の手前では県道60号の北を進んで、高梁川(西高梁川)の堤防に到着する。一方、近代の鴨方往来は、旧2号線の旧道であり、旧2号線を追う形で連島に向かい、霞橋で高梁川(西高梁川)を渡り、玉島に入る。近代の鴨方往来はJR鴨方駅のある六条院地区を通り、陣屋の置かれていた鴨方は通らない。
※この「岡山市内から高梁川まで」の解説は、「鴨方往来」の解説の一部です。
「岡山市内から高梁川まで」を含む「鴨方往来」の記事については、「鴨方往来」の概要を参照ください。
- 岡山市内から高梁川までのページへのリンク