小松島港駅 - 松山駅間直通準急・急行「いしづち」
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「いしづち (列車)」の記事における「小松島港駅 - 松山駅間直通準急・急行「いしづち」」の解説
1962年(昭和37年)4月12日:小松島線小松島港駅 - 高知駅間を徳島本線・土讃本線経由で運行する準急列車として、「阿佐」(あさ) を新設。この「阿佐」のうち、(上り・下りとも)2号には多度津駅発着の編成を連結していた。ちなみに、「阿佐」は小松島港駅・小松島港から南海フェリーを介して和歌山港より南海和歌山港線和歌山港駅に接続し、難波駅へ至る本四連絡ルートを担う目的があった。 1963年(昭和38年)2月1日:このときのダイヤ改正に伴い、次のように変更。従来、「阿佐」として小松島港駅 - 多度津駅間を運行していた準急列車を松山駅まで延長。「いしづち」の名称があたえられた。 列車愛称整理により、高松駅 - 松山駅間運行の準急列車に「いよ」、高松駅 - 宇和島駅間運行の準急列車にそれまで宇和島発松山行きの準急列車に与えていた「うわじま」の愛称を与えた。 これにより、「うわじま」は3往復、「いよ」は下り2本、上り3本での運行となった。 10月1日:高松発松山行きの準急「えひめ」を新設。運行当時は全車両座席指定制を採った。 1964年(昭和39年)10月1日:「えひめ」全車両座席指定制を解除。自由席を設けた。 1965年(昭和40年)6月1日:松山駅 - 高知駅間を運行する準急「予土」(よど)を新設。「予土」は阿波池田駅 - 松山駅間は「いしづち」と併結運転を行い、阿波池田駅 - 高知駅間は松山行きは急行列車である「浦戸」、高知行きは「阿佐1号」と併結運転を行っていたが、単独運転を行う区間が存在しなかった。 10月1日:このときのダイヤ改正により、次のように変更。「せと」が急行列車に昇格。同時に、「四国」を統合し、2往復体制を採った。 「うわじま」を2往復増発。 「えひめ」を「いよ」に統合。また従来夜行普通列車1往復を昇格。「いよ」4往復体制とした。 1966年(昭和41年)3月5日:準急制度の見直しにより、「いしづち」「予土」「いよ」「うわじま」「いしづち」急行列車に格上げ。 10月1日:「道後」の運行区間を宇和島駅まで延長。列車名を「せと」に変更。 1968年(昭和43年)10月1日:後年「ヨンサントオ」と称されるダイヤ改正により、次のように変更。急行列車の運行区間を見直し。「うわじま」は8往復(このうち夜行列車1往復)、「いよ」松山駅発着下り5本、上4本、伊予西条発上り1本の5往復とした。 「せと」は東京駅 - 宇野駅間夜行急行列車との混同を防ぐため列車名を「うわじま」に変更。 「いしづち」・「予土」は廃止。
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