小島秀夫との交流
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ゲームデザイナー小島秀夫の熱狂的なファンであった。学生時代にプレイした『スナッチャー』から小島の作品にのめりこみ、「小島原理主義者」「MGSフリークス」を自称するほどであった。特にメタルギアソリッドの二次創作を中心に手がけており、後にゲームの公式ノベライズを担当した。 小島と伊藤は、「東京ゲームショー98春」での『メタルギアソリッド』の展示ブースではじめて出会った。ゲームの大ファンであった伊藤は小島にトレーラーの感想を熱心に語り、小島も熱心なファンとして記憶した。その後も同人誌やファンレターを送るなど、ファンとクリエイターという関係での交流がつづいた。 2001年9月、小島は入院した伊藤への見舞として、社外秘であった開発途中の『メタルギアソリッド2』のカットシーンを持参した。伊藤は映像を見終わったあと「ゲームが完成するまで死にません」といったという。その後、発表会に小島は退院した伊藤を招待し、この頃には「友人同士」の関係になっていた。発売された『メタルギアソリッド2』は賛否両論だったが、伊藤は自分のウェブサイトで「こんな作品を喜ぶのは俺だけだ!」と擁護した。 作家デビュー作である『虐殺器官』を小島は絶賛した。原型となった短編小説が小島の初期の作品である『スナッチャー』のファン小説ということもあり、小島は開発中だった新作『メタルギアソリッド4』のノベライズを伊藤に依頼する。伊藤も、ノベライズにありがちな軽い文章にすることを避け、再読できる立派な「小説」をめざして執筆し、その出来には小島も満足した。小島は、引きつづき『メタルギアソリッド3』とその後の話である次回作をひとつの小説として伊藤に依頼する考えであった。 しかし、伊藤は再入院する。2009年2月、見舞に行った小島はベッドに伏せる伊藤と映画や小説の話をしたが、虚ろな表情のままほとんど返事もない状態であった。「伊藤さんに元気になってほしい。生きることを諦めてほしくない」と思った小島は、その時点では未発表だった新作『メタルギアソリッド ピースウォーカー』の構想を話すと、伊藤は笑顔を取り戻し、「完成するまで頑張ります」と言った。だが、2度目の約束は果たされず、伊藤は翌月この世を去った。 翌年(2010年)4月にPSPで発売された『メタルギアソリッド ピースウォーカー』には、エンディングで「この『PEACE WALKER』を伊藤計劃氏に捧ぐ」とのメッセージが収録されている(2011年11月にPS3とXbox 360で発売された、『メタルギアソリッド ピースウォーカー HDエディション』にも収録)。その後、伊藤の果たせなかった『メタルギアソリッド3』・『メタルギアソリッド ピースウォーカー』のノベライズはそれぞれ長谷敏司・野島一人(矢野健二)によって行われ、ともに2014年に発売された。
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