小山氏の再興とは? わかりやすく解説

小山氏の再興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 05:12 UTC 版)

小山氏の乱」の記事における「小山氏の再興」の解説

義政死後一時木戸法季が下野守護となったが、若犬丸祇園城奪還防げなかったことから、小山氏同族で旧小山領を与えられていた下総結城氏守護とすることにしたが、小山氏旧臣領民新体制への不満と動揺は収まらなかった。そこで、足利氏満守護となった結城基光次男泰朝をもって小山氏再興させることを決めたのである時期不明であるものの、若犬丸その子供たちの滅亡によって小山氏嫡流断絶した応永4年から氏満が急死した応永5年1398年11月までの短期間の間の決定であった考えられている。氏満死去翌年である応永6年1399年)には新し鎌倉公方足利満兼及び関東管領上杉朝宗のもとで結城小山宇都宮などの諸氏関東八屋形選ばれたとされており(『足利治乱記』)、鎌倉府忠実な勢力としての新たな小山氏確立されていく過程窺い知ることが可能である。 一方、氏満は小山氏滅亡によって太田荘下河辺荘などを御料所として編入することに成功し鎌倉府財政基盤強化きただけではなく北関東奥州進出必要な拠点の確保成功した。後に鎌倉公方享徳の乱によって両荘に近い古河移って関東管領室町幕府対抗することを可能としたのも、同荘が持つ経済力支えられていた部分大きい。更に若犬丸追跡過程で、陸奥出羽両国を管国に加えることに成功し、その勢力大きく伸ばすことに成功した。しかし、それは関東奥羽領主達と幕府から鎌倉府対す新たな警戒招き東国情勢以後長期わたって不安定な時代迎えることになった

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