小型空冷モデル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 01:44 UTC 版)
「タトラ (自動車)」の記事における「小型空冷モデル」の解説
この時期には既に空冷エンジン車を小型車の主力とする方針が固まっており、1930年には、T30の流れを汲む水平対向4気筒1.9リッターの30HP車「T52」が開発される。このモデルは1938年までの長期にわたり生産された。 T12の後継モデルとなる、より小型の空冷水平対向4気筒エンジン車「T54」が1931年に、「T57」が1932年に登場した。これらの開発をレドヴィンカと共に主導したのは、社内の若手技術者エーリヒ・ユーベルラッカー(Erich Übelacker, 1899年 - 1977年)で、彼はその後の流線型リアエンジンシリーズ開発にも多大な実績を残すことになる。 T54は1.45リッター21HP、1934年までの短期間製造されるに留まったが、1.15リッター18HPのT57は1932年3月の発表後、3ヶ月ほどで早くも1000台を生産する成功をおさめ、1936年にT57a、1938年にT57bと、特にボディデザインの改良を加えられつつ、チェコスロバキアのベーシックカーとして実に戦後の1949年まで生産されるロングセラーとなった。製造台数22,000台は、戦前形タトラ車としては最多である。 T30の後継モデルとなるT75は1933年に開発されている。油圧ブレーキを標準装備した水平対向4気筒1.7リッター車で、1942年までに約4,500台が製造された。 このT75のシャーシをベースに、イギリス・サセックスのトマス・ハリントン社は、幅広な流線型ボディのスペシャルを製造した。「フィッツモーリス」(Fitzmaurice)と名付けられたこの特別版T75は、1933年のロンドン・オリンピアモーターショーに展示され、注目を集めたが、量産化はされなかった。 当時のタトラ製空冷フロントエンジン車は、ラジエーターなど前面の開口部がないつるりとしたボンネット(1920年代以前のルノーに似ているが、もっとシンプルである)と、フロントタイヤの内側に飛び出した水平対向エンジンのヘッドとで、すぐそれと判別することができた。もっとも1930年代中期以降はダミーグリルを付けるようになった。いずれも騒音が大きく非力だったが悪路に強く、ラック・アンド・ピニオン式のステアリング機構ゆえに回頭性にも優れていたという。
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