封建時代の近衛家の所領とは? わかりやすく解説

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封建時代の近衛家の所領

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:44 UTC 版)

近衛家」の記事における「封建時代の近衛家の所領」の解説

平安時代末期摂関家領のほとんどを惣領した藤原忠通は、その大部分長子近衛基実譲り一部藤原聖子譲られた)、彼の没後には近衛基通継承し近衛家領が成立する鎌倉時代中期1253年建長5年10月書かれた『近衛家所領目録』には大番領散所等を除いて153か所の所領掲載されており、内訳私的な相伝地が14か所、本所として一定の得分徴収する所領50か所、進止権保留しつつ縁の有る寺社寄進した所領が5か所、基本的な年貢徴収寺社寄進した所領4か所、本所として荘務進退する所領60か所、在地領主請所として一定の得分をもつ所領20か所となっている。ただし私的な相伝14か所のうち7か所は鷹司家近衛家から分家した際に鷹司家となった南北朝時代には近衛家分裂し近衛家平流と近衛経平流の2流が家領めぐって対立したが、主要な領地は経平流の近衛基嗣に伝領されと見られる。基嗣は1336年延元1年建武3年11月北朝から摂津国榎並庄以下25か所の所領安堵されているが、これが当時近衛家領の全てであったとは言い難い戦国時代前期1478年文明10年)から1505年永正2年)間の『近衛家雑事要録によれば荘園解体期のこの時期でも近衛家領は40か所前後当知行所領維持していたが、戦乱の中で衰退避けられず、1524年大永4年)になると不知行所領当知行所領を数倍上回る状態に陥った安土桃山時代織田信長豊臣秀吉天下統一下で石高知行制成立した後には近衛家織田氏豊臣氏から知行地与えられ江戸時代入った後の1601年慶長6年)には徳川氏より1795石余の知行与えられその後2862石余になった

※この「封建時代の近衛家の所領」の解説は、「近衛家」の解説の一部です。
「封建時代の近衛家の所領」を含む「近衛家」の記事については、「近衛家」の概要を参照ください。

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