封建時代の石山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 09:37 UTC 版)
石山寺周辺の地域は石山寺の寺領であり、近衛家に支配されることもあった。江戸時代以降は膳所藩の支配下に置かれ、藩の奨励で新田の開発が行われ、農民の数も増えていった。この頃、漁業が盛んに行われ、瀬田川の上下流や対岸どうしで相論が繰り返された。また、通船計画や洪水防止のため、1670年から付近の農民を動員して瀬田川の浚渫工事が行われている。
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