対戦相手に関する逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:58 UTC 版)
1955年の日米野球で来日したニューヨーク・ヤンキースとの対決で金田が登板した際に、当時主砲であったミッキー・マントルを3打席全て三振に斬って取っている。1962年に、金田がヤンキー・スタジアムで行われたワールドシリーズ観戦に出かけた時に、マントルから握手を求められたことがある。 川上哲治とは9年間対戦して234打席で1本も本塁打を打たれなかった(奪三振は41)。 1964年8月19日の阪神戦で、本屋敷錦吾に2打席連続本塁打を打たれたことがある。金田はこの試合前の打撃練習で本屋敷の打撃を見た時に、「箱庭ででもやっとれ」というくらい、本屋敷の放つ打球には力がなかった。その打者にいきなり本塁打を打たれ、頭に血が上った金田は続く打席に同じような球を投げ、同じように本塁打を打たれた。本屋敷の通算本塁打はわずか13本しかなく、2打席連続はこの1回だけである。金田はこのことで「ええ勉強になった。どんな相手にも油断したらいかん」と述べている。 唯一苦手としたのが、球界でも一・二を争う小兵の吉田義男であった。現役通算で打率.267、66本塁打の吉田だが、金田に対しては1953年 - 1969年までで通算打率.310、8本塁打。国鉄スワローズ時代の金田が1957年5月28日の対阪神戦(阪神甲子園球場)にてプロ8年目で初めてサヨナラ本塁打を打たれたのも吉田であり、また両者の対戦で1960年 - 1965年の6年間、金田は吉田から三振を奪ったことは一度もなく、特に1963年8月31日の甲子園での試合では吉田に適時打を許した1安打だけで0-1の敗戦投手になったこともあった。現役引退後の巨人阪神OB戦でも金田は吉田に左翼ラッキーゾーンに本塁打を打たれたこともあった。
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