宝光寺
宝光寺
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宝光寺
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宝光寺
宝光寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/03 14:33 UTC 版)
宝光寺 | |
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所在地 | 新潟県新発田市諏訪町2-4-17 |
位置 | 北緯37度56分47秒 東経139度19分50秒 / 北緯37.94639度 東経139.33056度座標: 北緯37度56分47秒 東経139度19分50秒 / 北緯37.94639度 東経139.33056度 |
山号 | 廣澤山 |
宗旨 | 禅宗 |
宗派 | 曹洞宗 |
開基 | 溝口秀勝 |
文化財 | 山門・仏像・絵画など |
公式サイト | 廣澤山宝光寺 |
法人番号 | 4110005005038 |
宝光寺(ほうこうじ)は新潟県新発田市にある曹洞宗の寺院。山号は廣澤山。新発田藩藩主溝口氏の菩提寺である[1]。等級は常恒会地。江戸時代は新発田藩領内の曹洞宗録所であった。
山門は新発田市の有形文化財に指定されており、他にも市の有形文化財に指定された絵画、仏像等を有する。 境内には推定樹齢350年の徳川家光から寄進されたとされるしだれ桜がある。
歴史
起源は溝口秀勝が加賀国大聖寺城にいた際に雪堂を開山に加賀国で創建された大麟寺で、慶長3年(1598年)の溝口秀勝の新発田藩移封に随行して、越後国に移転。はじめ五十公野村(いじみのむら)に所在していたが、後に現在地に移転した。秀勝が死亡すると当寺に埋葬され、浄見寺と改名。慶安元年(1648年)に藩主溝口宣直より200石の寄進を受ける。
宝永6年(1709年)に将軍徳川綱吉が死去すると綱吉の院号である常憲院と音が通じるのをはばかって、宝光寺と改名。
新発田藩主溝口氏の菩提寺で初代秀勝から10代直諒までの墓所がある[1]。
アクセス
JR新発田駅より徒歩8分
脚注
参考文献
関連項目
- 福勝寺 - 同じく寺町通りに面する寺院。
外部リンク
宝光寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/23 13:19 UTC 版)
鎌倉時代以来、武蔵国多西郡平井郷塩澤(現・東京都西多摩郡日の出町平井塩沢)には、源頼朝にゆかりある天台宗の菩提院があったが、戦国時代の曹洞宗大和尚・以船文済(いせん ぶんさい。1457-1547年)は、天文8年(ユリウス暦換算:1539年)に甲斐国(現・山梨県)の妙亀山広厳院(こうごんいん)の住持になった後、平井郷塩澤にては、頼朝ゆかりの菩提院を曹洞宗に改宗せしめ、塩澤山寳光寺(宝光寺)を開山した。宝光寺は、開山以来、曹洞宗でありながら、宗派本来の釈迦如来ではなく聖観世音菩薩を本尊としてきたが、これは前身たる菩提院の本尊をそのまま引き継いできたが所以である。
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固有名詞の分類
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