富洲原洗眼所とは? わかりやすく解説

富洲原洗眼所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 01:55 UTC 版)

富洲原町」の記事における「富洲原洗眼所」の解説

三重郡富洲原町伊藤平治郎などの政治家による上水道網と下水道網の設置理由になった疫病トラホームは、富田一色中心に天ヶ須賀地区加え漁師町では潮水盛んに沿岸地域使用する関係からトラホーム発生しても完全に治療するのが困難で長期間にかけて富洲原地区内で流行していた。三重郡富洲原町トラホーム対策として1933年昭和8年)にトラホーム患者のために洗眼所を設置して毎日洗眼方法による治療が可能となった1941年昭和16年)の三重郡富洲原町から四日市市合併後四日市市冨洲原地区となった後も洗眼所及び洗眼治療引き継がれている。昭和21年度より四日市市州原町(松原西元町商店街)に開所されて、寺本家の女性洗眼従事をしていた。四日市市衛生課の調査によると、洗眼料金及び昭和時代利用状況は以下である。昭和50年代利用者大部分70歳以上高齢者で、トラホーム治療の洗眼目的とする人は戦後期半数以下で、普通の目の病気治療する洗眼急増している。利用者固定客多く年齢似通った老人が多いため、お互い知り合い顔なじみ気心通じ合っており、世間話をして暇つぶしをする。家庭の事情悩み事などの相談をして互いに慰め合っていた。洗眼係の女性良き聞き役となり地区民の相談相手となっていた。老人によって、庶民的なささやかな憩いの場として、小規模老人ホームとなっていた。 洗眼料金は以下の推移である。 昭和23年1円 昭和24年度 2円 昭和28年度 2円50昭和29年度 3円 昭和33年5円 利用者数は昭和49年19,527人、昭和50年20,660人で、1か月利用平均1,720人、1日平均70人。

※この「富洲原洗眼所」の解説は、「富洲原町」の解説の一部です。
「富洲原洗眼所」を含む「富洲原町」の記事については、「富洲原町」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「富洲原洗眼所」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「富洲原洗眼所」の関連用語

富洲原洗眼所のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



富洲原洗眼所のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの富洲原町 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS