富洲原洗眼所
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三重郡富洲原町の伊藤平治郎などの政治家による上水道網と下水道網の設置の理由になった疫病のトラホームは、富田一色を中心に天ヶ須賀地区も加える漁師町では潮水を盛んに沿岸地域に使用する関係からトラホームが発生しても完全に治療するのが困難で長期間にかけて富洲原地区内で流行していた。三重郡富洲原町はトラホーム対策として1933年(昭和8年)にトラホーム患者のために洗眼所を設置して、毎日洗眼方法による治療が可能となった。1941年(昭和16年)の三重郡富洲原町から四日市市合併後に四日市市冨洲原地区となった後も洗眼所及び洗眼治療も引き継がれている。昭和21年度より四日市市冨州原町(松原西元町商店街)に開所されて、寺本家の女性が洗眼の従事をしていた。四日市市衛生課の調査によると、洗眼料金及び昭和時代の利用状況は以下である。昭和50年代の利用者は大部分が70歳以上の高齢者で、トラホーム治療の洗眼を目的とする人は戦後期の半数以下で、普通の目の病気を治療する洗眼が急増している。利用者は固定客が多く、年齢も似通った老人が多いため、お互い知り合いの顔なじみで気心が通じ合っており、世間話をして暇つぶしをする。家庭の事情や悩み事などの相談をして互いに慰め合っていた。洗眼係の女性が良き聞き役となり地区民の相談相手となっていた。老人によって、庶民的なささやかな憩いの場として、小規模の老人ホームとなっていた。 洗眼料金は以下の推移である。 昭和23年度 1円 昭和24年度 2円 昭和28年度 2円50銭 昭和29年度 3円 昭和33年度 5円 利用者数は昭和49年度19,527人、昭和50年度20,660人で、1か月利用平均1,720人、1日平均70人。
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