富洲原地区の地形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 01:55 UTC 版)
奈良時代には国道1号線から東側の地域は広大な伊勢湾がいたる砂浜であった。伊勢湾沿岸の葦が生えていた土地が朝明郡松原村の一部であった。松原村には聖武天皇由来の聖武天皇社が建立される発端となった聖武天皇と田村家の娘が出会った古い言い伝えがある。松原村で聖武天皇を出迎えた一族は松原姓から後に田村家となった。松原村の村民は田村家とその他の家がわずかに居住していただけだった。富田一色村と天ヶ須賀村は奈良時代には地政学的に陸地が形成されていなかった。古代期の奈良時代から中世期の室町時代までに木曽三川(揖斐川・長良川・木曽川)の土砂や朝明川の川下河口に流れてきた砂が海の働きで伊勢湾沿岸地域に段々と積み重なって、陸地を形成した。富洲原は土砂がたまり陸地となった地域である。中世期から近世期にかけて伊勢湾周辺の富洲原地域に住民が住むようになり、家がたくさん集まって村ができた。富田一色龍泉寺の古い記録によると、1594年(文禄3年)には小さな集落の富田一色村が構成されていた。1796年(寛政3年)の地図では松原村の家の軒数が26軒。富田一色村の家の軒数が304軒。天ヶ須賀村の家の軒数が151軒であった。明治時代に富洲原となった3ヵ村の合計では481軒となっている。
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