富洲原公益質屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 01:55 UTC 版)
1927年(昭和2年)に政府によって貧困対策者を対象に生活保護に類似する機能として公益質屋法が制定された。戦前の社会保障制度であり低所得者のために民営の質屋より安い利子で生活資金と生業資金を融通して庶民の福利増進を図る事となり、公営の質屋の出現となった。三重郡富洲原町が貧困対策として生活困窮者とために1929年(昭和4年)5月、社会銀行の低利子資金14000円を借り受けて、8月より三重郡富洲原町営の公益質屋が、富田一色南町西端に木造小屋造りで一部二階建てを公益質屋の店舗として三重郡富洲原町によって設立された。ところが三重郡富洲原町が四日市市に合併して四日市に吸収されて富洲原地区となり、四日市市営公益質屋となり、2名の四日市市職員が執務していたが、高度経済成長期の高所得化で貧困者が激減する時代の移り変わりで廃止された。昭和50年代に公益質屋の建物は富田一色の青少年センターとして保存された。
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