富山産業大博覧会と天守閣建設とは? わかりやすく解説

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富山産業大博覧会と天守閣建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 00:29 UTC 版)

富山市郷土博物館」の記事における「富山産業大博覧会と天守閣建設」の解説

アメリカ軍爆撃富山大空襲)により、富山市灰燼に帰し十万人が被災した。そして戦後復興のために人々努力続いていた。 復興事業がほぼ完了し記念に行われたのが1954年昭和29年4月11日 - 6月4日富山城址で開催され富山産業博覧会であったポスターによれば富山県富山市主催魚津市参加国鉄後援であった通称富山博といわれ、会場富山市城址公園附近一帯魚津会場設けて観覧時間午前8時30分から午後5時30分までであった47万人入場した。4億円の予算で、電気展示売り物とし、自治体館(後の市庁舎展示施設としていた)として東京館、北海道館が設定された。 建物の外観彦根城犬山城など、全国現存天守参考デザインされ慶長様式で、会期中は「美の殿堂」として美術展などが開かれていた。構造複合連結望楼型3重4階天守)2重2階小天守)で RC造である。当時天守展望台から、富山市街はもとより北アルプス富山湾まで見渡すことができた。模擬天守その時復興シンボルとして作られ記念建造物であるため、その後多くの人が親しみ込めて富山城呼んだ

※この「富山産業大博覧会と天守閣建設」の解説は、「富山市郷土博物館」の解説の一部です。
「富山産業大博覧会と天守閣建設」を含む「富山市郷土博物館」の記事については、「富山市郷土博物館」の概要を参照ください。

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