富山県への移管とは? わかりやすく解説

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富山県への移管

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 05:25 UTC 版)

高岡市伏木気象資料館」の記事における「富山県への移管」の解説

しかし、1885年明治18年)に地震観測開始するなど業務量が増大しつつあったので、1886年明治19年)には富山県に対して移管請願書提出し1887年明治20年4月1日からは富山県伏木測候所として観測業務を行うこととなった県営移管後1888年明治21年4月暴風警報信号標を建設するなど設備の拡充が行われたが、ますます業務量が増加しつつあったので、1892年明治25年5月富山県射水郡伏木町大字伏木浦町において新庁舎建設工事着手し同年6月20日完成したので、同年7月1日移転した移転後1893年明治26年4月1日には全国天気予報と共に伏木地方天気予報発布し富山県庁掲示板富山市内の巡査交番所、あるいは富山県内の新聞によって一般縦覧供することとなった。また1894年明治27年4月1日には初め最寄電信局の間に時報のため電話線架設し1895年明治28年4月1日からはミルン式地震計によって地震観測開始している。 このころ伏木測候所所在していた射水郡伏木町大字浦町波浪のために侵蝕激しく、ために庁舎退廃して移転改築必要に迫られたので、1909年明治42年3月31日に同郡同町古国府に再び新庁舎建設し同年4月30日移転して同年5月1日より同所にて業務開始した。この庁舎高岡市伏木気象資料館として現存するもので、当初風向計備えた望楼有する建物であったが、1937年昭和12年)にその隣に測風塔が建設されたのを機に1939年昭和14年)に撤去された。また1920年大正9年8月1日には室堂伏木測候所附属立山観測所設置し1932年昭和7年12月22日には伏木測候所附属富山地震観測所を旧富山県庁構内開設している。

※この「富山県への移管」の解説は、「高岡市伏木気象資料館」の解説の一部です。
「富山県への移管」を含む「高岡市伏木気象資料館」の記事については、「高岡市伏木気象資料館」の概要を参照ください。

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