富士見池の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 09:48 UTC 版)
「大泉寺 (甲府市)」の記事における「富士見池の伝承」の解説
境内には富士見池(大泉)があり、『甲州巡見記』に拠れば甲斐国繁栄の様子が映ったという伝承を持つ。また、文政10年(1827年)の大泉寺縁起(「甲州文庫」)や『裏見寒話』、文化11年(1841年)の『甲斐国志』、嘉永2年(1849年)『懐宝甲府絵図』等に拠れば、富士見池の水面には富士山の姿が写ったという。特に『甲斐国志』では富士見池には「士峰寒影」が映ったと記され、「士峰」は富士の意味であるが、「寒影」は漢詩における月光の意味のほかに「冬の姿」と解釈されることも指摘され、富士見池には冠雪した冬の富士の姿が映ったとする伝承であるとも考えられている。 甲斐国において水面に冬の富士が映ったとする類例は他にもあり、『裏見寒話』によれば現在の甲府市太田町に所在する時宗寺院・一蓮寺境内の池や、一蓮寺の旧地である一条小山に築城された甲府城の堀にも冬の富士が映ったとする伝承を記録している。こうした伝承を踏まえて、江戸後期に浮世絵師の歌川国芳は弘化4年(1847年)から嘉永5年(1851年)刊行の『甲州一蓮寺地内 正木稲荷之略図』において一蓮寺を描き、和歌において一蓮寺の池に映る冬の富士を暗示させていることが指摘されている。 また、同じ浮世絵師の葛飾北斎は『冨嶽三十六景』の一図「甲州三坂水面」において鎌倉往還の御坂峠から見える河口湖と富士の姿を描いており、実景の富士が夏山なのに対し、湖面に映る逆さ富士は冠雪した冬の姿として描かれている。北斎は甲斐を訪れた確実な記録がなく、大泉寺縁起や他の甲斐における水面に映る富士の伝承を知っていたのかは不明であるが、北斎は水面には隠された本当の姿が映るという近世期の一般的感性を共有していたことが指摘される。
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