密庵咸傑
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密庵 咸傑(みったん かんけつ、1118年 - 1186年)は、中国・南宋時代の禅僧。名は咸傑、俗姓は鄭。福清の人。応庵曇華の法嗣。南宋はじめの禅林の巨匠である。密庵門下の松源崇嶽・破庵祖先・曹源道生の3人を密庵下の三傑と称し、この法系から多くの墨跡を生んだ。著名な墨跡の筆者は、松源派では中国の古林清茂・了庵清欲・虚堂智愚・蘭渓道隆、日本の宗峰妙超・一休宗純、破庵派では中国の無準師範・中峰明本・無学祖元・清拙正澄、日本の夢窓疎石、曹源派では中国の一山一寧、日本の雪村友梅などがあげられる。 密庵咸傑法語 淳熙6年(1179年)8月、密庵に随従した璋禅人という人物の求めに応じて、禅の要旨を書き与えた法語(印可状とも見られる)。27行・290文字を異例ともいうべき綾絹の上に行書で濃淡自由に書いている。密庵は書法に長じたが、その墨跡は稀でこの法語が唯一とされる。これを秘蔵する龍光院には、この墨跡以外は掛けないという「密庵床」と称する床が特設され、その茶席を「密庵席」と称している。龍光院蔵。国宝(指定名称は密庵咸傑墨蹟(法語 淳熙己亥仲秋日))。
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