室町幕府成立までとは? わかりやすく解説

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室町幕府成立まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 09:44 UTC 版)

塩冶高貞」の記事における「室町幕府成立まで」の解説

塩冶氏宇多源氏名門佐々木氏傍流であり、バサラ大名として著名な佐々木導誉とは遠い親戚関係にある。鎌倉時代から代々出雲国現在の島根県東部)の守護務めた家系で、高貞もまた鎌倉時代末期にその職にあった。高貞の姉の覚日尼(かくにちに)は、出雲国造家当主出雲大社宮司である出雲泰孝に嫁ぐなど、塩冶氏現地宗教勢力との縁戚関係有した生誕年は不明だが、鎌倉幕府第14代執権北条高時北条氏得宗当主であった期間(1311年-1333年)内に元服して高時烏帽子親子関係を結んでその偏諱(「高」の字)を受けた人物とみられる元弘の乱では、後醍醐天皇幽閉先の隠岐国脱出すると、隠岐国守護佐々木清高は帝を追って出雲国三尾の浦に上陸同族の高貞に後醍醐捕縛協力要請したが、既に後醍醐天皇から鎌倉幕府打倒綸旨命令書)を受け取っていた高貞は、清高求め黙殺した(『梅松論』上)。その後伯耆国船上山再挙兵した後醍醐のもとに馳せ参じ鎌倉幕府打倒後、後醍醐開始した建武の新政にも参画した。元弘の乱での功績によって、建武政権では新たに隠岐国守護にも任じられ二国守護兼ねた建武2年1335年)の中先代の乱後、後醍醐天皇足利氏との間で建武の乱勃発すると、関東自立した足利尊氏を討つべく東国に向かう新田義貞率いる軍に参陣する。だが、箱根・竹ノ下の戦い新田軍から足利方に寝返り足利方の勝利貢献した延元元年/建武3年1336年6月19日には、出雲国造家当主出雲大社宮司自身の甥にも当たる出雲孝時やその弟の出雲貞孝を従えて伯耆国長田城を攻めその後同月30日小松城攻めた(『千家文書』)。

※この「室町幕府成立まで」の解説は、「塩冶高貞」の解説の一部です。
「室町幕府成立まで」を含む「塩冶高貞」の記事については、「塩冶高貞」の概要を参照ください。

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