客将として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 03:37 UTC 版)
「ルイ2世 (コンデ公)」の記事における「客将として」の解説
謀反人として祖国を追われたコンデ公は、1653年からの6年間はフランス・スペイン戦争でスペインの客将として戦い、主にスペイン陸軍を率いてテュレンヌ率いるフランス軍相手に都市の奪い合いを繰り返した。全体的にフランス軍が優勢の上、友軍のスペイン軍が当てにならないためコンデ公は徐々に押されていったが、1653年にロクロワを奪い、1657年4月にはカンブレーを包囲しようとするテュレンヌの陣地を騎兵2千で外から突破して市街に入城するといった離れ業を演じている。 しかしクロムウェル治下のイングランドとフランスが同盟したため5月にカレーでイングランド軍がフランス軍と合流、敵軍が完全に優勢となり、1658年にイングランド・フランス連合軍を率いるテュレンヌに包囲されたダンケルクをネーデルラント総督フアン・ホセと共に救援に向かい、6月14日にダンケルク付近の砂丘で交戦した(砂丘の戦い)。戦いはテュレンヌの圧勝に終わり、ダンケルクはフランス軍に落とされ、続くテュレンヌの侵攻も止められず敗北は決定的になった。 1659年、フランス・スペイン間のピレネー条約の講和によってテュレンヌが占領したネーデルラントの都市はフランスへ渡り、スペインの覇権は終わりを告げた。コンデ公は過去の罪を許されフランスに復帰する。
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