北畠昌教とは? わかりやすく解説

北畠昌教(きたばたけ まさのり) 1577~????

千代松丸 折戸
◇父:北畠具房 子:折戸昌清、昌近
 伊勢国司・北畠氏一族だが、尾張織田氏一族多く滅ぼされると、追手逃れて京・本願寺に至り、ここに隠れ住む。一方北畠氏井上専正が主家没落後、顕如上人弟子として僧になり、出羽鹿角花輪専正寺建てたことから、ここに招かれ人里離れた大湯折戸で、折戸氏を名乗り住したその後津軽氏客将として1600年には関ヶ原の合戦にも参陣している。死に際し「子孫代々折戸氏を名乗ること」「他家家来になってはいけない」という2つの事を言い残したという。

北畠昌教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/13 00:05 UTC 版)

北畠 昌教(きたばたけ まさのり、生没年不詳[1])は安土桃山時代から江戸時代初期の頃に活動したと目される人物。伊勢国司北畠家の末裔という[1]

伝承

北畠昌教の墓
北畠昌教の墓
所在地 秋田県鹿角市十和田大湯字上折戸
位置 北緯40度17分51.658秒 東経140度52分26.98秒 / 北緯40.29768278度 東経140.8741611度 / 40.29768278; 140.8741611座標: 北緯40度17分51.658秒 東経140度52分26.98秒 / 北緯40.29768278度 東経140.8741611度 / 40.29768278; 140.8741611
被葬者 伝・北畠昌教
地図
北畠昌教の墓
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北畠具教の孫で北畠具房の子[要出典]、または具教の子[1]とする伝承が存在し、それによるとその生涯は以下の通りである。

幼名を千代松丸という。祖父具教ら一族が誅殺され、父・具房が滝川一益に預けられて幽閉されたとき、家臣に連れられて脱出し、織田信長の追及から逃れたという。その後、本願寺を頼り、その降伏後は津軽に赴いて津軽為信の客分となったという。[要出典]

また、鹿角に残る伝承によれば、専正寺は、天正17年(1589年)、本願寺の弟子となった北畠旧臣の井上専正が開いた寺である。専正は本願寺に匿われていた昌教を保護した[1]。一説では、昌教は、顕如の弟子となり、顕寿と号したという[2]。昌教は、南朝ゆかりの地である大湯の折戸山中に昌斎館を築いて隠れ住み、折戸氏と改姓した[3]。死に臨んで代々折戸姓を名乗ること、他家に仕えないことを遺言して亡くなったという[4]。なお、専正寺は盛岡藩南部氏)領にあった。

現在鹿角市十和田大湯字上折戸の大柴峠への登り口には、北畠昌教のものと伝えられる墓が現存する[5]。太い大きな松の木がある古墳である。この古墳の南側には、折戸の住人の墓があり、その墓の中ほどに大きな山桜の跡があり、その木は蔦江姫桜(つたえひめざくら)と呼ばれていた。伊勢国から昌教を慕ってついてきた蔦江姫という姫が死んだ後、墓のしるしに植えられたものといわれている。北畠昌教の墓は三戸と鹿角を結ぶ唯一の通路であった三戸鹿角街道の脇にある。大柴峠から峠道を降り平地にさしかかる場所に北畠昌教の墓がある。

子孫と称する一族として有馬氏(有馬北畠家)、折戸氏がある。[要出典]

脚注

  1. ^ a b c d 鹿角市先人顕彰館研究員編: “江戸期から平成期の鹿角人物事典”. 鹿角市教育委員会 (2020年3月31日). 2021年9月12日閲覧。P59-60〔北畠昌教の項〕
  2. ^ 磯村朝次郎「鹿角地方における中世石造遺物」秋田県立博物館研究報告3号20頁
  3. ^ 安村二郎「ふるさとの歴史風景 三十三、折戸の松風」広報かづの606号 1998-07-01
  4. ^ 折戸の北畠伝説”. 十和田八幡平観光NaVi. 十和田八幡平観光物産協会. 2021年9月12日閲覧。
  5. ^ 歴史の道をゆく 来満街道2”. 秋田街道情報. 国土交通省 東北地方整備局 秋田河川国道事務所. 2021年9月12日閲覧。

関連文献

  • 泉澤寛「もう一つの歴史を見る目「伊勢国司北畠家と鹿角」」上津野29巻70-74頁 2004-03

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