実業家・政治家としての経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 15:53 UTC 版)
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生家は丹後国加佐郡舞鶴(現・京都府舞鶴市)にあった平野屋。1860年(万延元年)に四男として生まれた。父親は嘉助、母親は京子。12歳だった1871年(明治4年)には丹後田辺藩の元藩主である牧野弼成が経営する審致舎に丁稚奉公したが、審致舎が解散すると1877年(明治10年)に大阪に出て、長兄の賀三が経営する洋酒店兼洋服店に勤めた。23歳だった1882年(明治15年)には山宮定次郎の長女梶子と結婚し、翌年には独立して大阪市高麗橋4丁目に洋服店を開業させた。 1896年(明治29年)には大阪羅紗販売株式会社を設立。40歳だった1899年(明治32年)には大阪市会議員に当選し、1905年(明治38年)には大阪商業会議所議員に当選した。1908年(明治41年)には立憲政友会から第10回衆議院議員総選挙に出馬(大阪6区)して当選し、1912年まで衆議院議員を1期務めた。1918年(大正7年)には大阪実業協会の理事に就任した。
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