実業家・教育者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 03:27 UTC 版)
実業家としては、2000年に梅田望夫及びインド人、アメリカ人と4人でシリコンバレーのパロアルトにベンチャーキャピタル「パシフィカファンド」を設立し、ITベンチャーを支援。このほかアサヒビール取締役、三菱自動車監査役、三菱マテリアル取締役、日本郵船取締役、NTTデータ取締役等も歴任する。 2002年9月からは立命館大学客員教授として後進を指導。2005年立命館大学に「国際社会で活躍する人材養成特別プログラム」を立ち上げ、同じく元外務省の宮家邦彦立命館大学客員教授とともにスーパーバイザーを務め、外交官や国家公務員、多国籍企業など難関進路を志望で成績優秀な学生を選抜。講義やゼミナール指導、岡本行夫奨学金による海外研修などを実施している。 2012年、NPO法人新現役ネット理事長などの職を退任し、渡米、マサチューセッツ工科大学国際研究センターシニアフェローに就任。2018年青山学院大学特別招聘教授の称号を受けた。 2020年4月24日に新型コロナウイルス感染症のため死去し、5月7日に報じられた。74歳だった。死没日をもって正五位叙位、旭日中綬章追贈。マイケル・グリーン、カート・キャンベル、リチャード・アーミテージなどから追悼の言葉が寄せられた。
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