実業〈論語〉編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:17 UTC 版)
明治20年代に入り近代国家となった日本では、徳川の世を再評価する機運が高まりつつあった。数々の事業を立ち上げ、経済界の中心的存在となっていた栄一は、汚名を被ったまま静岡で隠棲するかつての主君・慶喜のことが気がかりでいた。幕府を終焉に導いた慶喜の真の思い、またその偉業を後世に伝えるため、栄一は慶喜の伝記編纂を思い立つが、過去を語る気のない慶喜はこれを拒む。 栄一の嫡男・篤二は素行不良のためやむなく廃嫡とする。栄一はアメリカに渡りルーズベルト大統領と会談。帰国後勃発した日露戦争のため、公債購入を呼びかける演説の最中過労で倒れる。駆け付けた慶喜は「生きてくれたら自分のことは何でも話す」と語り、ようやく伝記の編纂がはじまる。実業界を引退した栄一は、排日運動吹き荒れるアメリカに再び渡り、民間外交で事態を好転させようと尽力する。慶喜の伝記が完成し、孫の敬三が渋沢家跡継ぎとなる。関東大震災で各国からの救援物資に感動した栄一は、中華民国の水害救援ではラジオで演説して救援を呼びかける。だが満州事変が勃発し救援物資は受け取り拒否される。昭和6年(1931年)11月11日、栄一は家族に看取られ永眠。その後の追悼式で、敬三は栄一が書き残した「死んだあともみなさまの事業や健康をお守りする」という手紙を読み上げた。
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