宗教・思想的側面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 05:09 UTC 版)
太平天国はキリスト教が刺激となって生まれ出でた現象であることは間違いない。教義として神・イエス・聖霊を内容とする三位一体論を受容していたが、ただ洪秀全をキリストの弟に位置づけている点で大きく異なる。また人は神の前に平等であり、皆兄弟姉妹であるという天下一家的な思想をもっていた。 教典としては聖書に加え、洪秀全が著した『原道救世歌』などを一部修正して使用していた。洪秀全は『勧世良言』によって覚醒した後広州に出かけて、その地でI.J.ロバーツというアメリカ人宣教師の下に教えを請うている。基本的な知識はこの時得たのであろう。ただ洗礼は時期尚早として受けられなかった。 初期の太平天国は独自の解釈をまじえながらも、キリスト教に忠実であろうとつとめ、たとえば偶像破壊や儒教等の教えの書を積極的に廃棄していた。こうした姿勢に変化が見られるようになったのは1854年頃からである。無条件で焼却していた 六経を太平天国に都合良く改訂した上での流布を認める一方で、聖書は太平天国により改訂された上でなければ閲覧不可能となった。これは三位一体論を太平天国に合うよう改変し、洪秀全と楊秀清の権威を高めるためであった。 文化的な側面で取り上げるべきものとしては、文字の新造がある。たとえば魂は「云人」(一文字)、魄は「白人」(一文字)等二十二字を作った。ただ圀といった則天文字のごとき命脈は保てなかった。
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