宗教と哲学の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 13:38 UTC 版)
「イブン・ルシュド」の記事における「宗教と哲学の関係」の解説
イブン・ルシュドの時代、哲学はスンナ派は、特にハンバル学派やアシュアリー神学派から攻撃を受けた。アシュアリー神学派のアル・ガザーリーは「哲学者の崩壊」を書き、ネオ・プラトニズム的な哲学、特にイブン・スィーナーを批判した。アル・ガザーリーは哲学者のイスラームへの不信仰を訴え、論理的な議論を用いて哲学者に反証しようとした。 彼に対し「論説の決定」において、哲学は啓示に反することはなく、それらは真理に達する二つの方法であり「真理は真理に反することはできない」と書いた。哲学によって成された結論が啓示のテキストと矛盾すると思われた時には、矛盾を除くために啓示は解釈され、または寓意的に理解によらなければならない。この解釈はクルアーン3:7のいうところの「知識の根差した」人々によらなけばならず、イブン・ルシュドによれば、それは「知識の最も高い方法」に達した哲学者を指す。また、クルアーンはムスリムが哲学を学ぶことを要求していると主張する。なぜなら、自然の研究と考察は造物主である神についての知識を高めるからである。彼はクルアーンの一節を引用し、ムスリムに自然を考察し、哲学はムスリムに許され、それに対する才能を持つ人々にとっては義務であるという法的見解を表明した。 また議論の三つの様式があることを説く。説得力に基づく修辞的なもの。論争に基づく弁証的なものでありこれは神学者やウラマーによって使用される。そして推論に基づく論証的なものである。イブン・ルシュドはクルアーンは修辞的な方法に用いて人々を真理へと導く。一方、哲学は可能な限り最高の理解と知識とを与える論証的な方法を用いて哲学を学ぶ者を導く。
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