宗像大宮司・宗像氏とは? わかりやすく解説

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宗像大宮司・宗像氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 03:41 UTC 版)

宗像氏」の記事における「宗像大宮司・宗像氏」の解説

宗像大社神主の一覧」も参照宗像大宮司の一覧」も参照 天照大神素戔嗚尊誓約によって生まれた宗像三神祭神とする全国宗像神社総本社宗像大社大宮司家を中核とする。 海路重要性が増すとともに宗像大社は国の祭祀対象となる。清氏親王より前代は、宗形徳善宗形鳥麿歴史書登場する。徳善の娘尼子娘天武天皇の妃となり高市皇子を生み国母となるなど、大和朝廷中枢親密な関係にあったと見られる。また大和宗像神社 (桜井市)は、その頃宗像大社本貫から分祀されたものと見られる。この時代宗像大社神主職を宗形氏大領独占していた。(祭政一致宗像氏出自大国主神の六世孫、あるいは三女神の七世孫の吾田片隅命に始まると伝わるが、上古系図は現在まで確認されておらず、吾田片隅命から徳善までの歴代不明である。また正三位中納言清氏親王を祖とするが、伝承の域を出ない914年までは、胸形氏、宗形氏、胸肩氏等と表記された。また、平安時代末期辺りから武士化し戦国大名としても活躍した戦国時代宗像氏貞急死により大宮司家が断絶した。 氏貞には3人の娘がいたが、そのうち一人小早川隆景重臣草刈重継嫁ぎ宗像氏相伝文書草刈家に伝来することになった。他、熊本藩主細川家家臣宗像家があり、近年宗像大宮司に関する書状などが後裔俳人宗像夕野火の宅から発見されている。 また、むなかた」の由来は、沼沢地接す集落、「みなかた」から変異したとするとする説もある。(福岡県宗像市地名の由来説)

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