安治川部屋時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 06:17 UTC 版)
現役時代は宮城野部屋に所属していた元関脇・陸奥嵐は、1976年(昭和51年)3月場所限りで現役を引退し、年寄・3代安治川を襲名した。3代安治川は年寄襲名後に宮城野部屋から友綱部屋へ移籍した後、1979年(昭和54年)4月に独立して安治川部屋を創設した。1990年(平成2年)7月場所後に春日山部屋が16代春日山(元幕内・大昇)の停年(定年)退職に伴って閉鎖されたため、幕内・春日富士らを引き取り、春日富士は安治川部屋で初めての関取になったものの、生え抜きの関取を誕生させることはできないまま、1993年(平成5年)4月に3代安治川は健康問題を理由に廃業した。 3代安治川の廃業に伴い、同郷出身で現役時代は大島部屋に所属していた第63代横綱・旭富士が4代安治川を襲名して部屋を継承した。継承後に先代からの弟子である陸奥北海が十両に昇進した。1997年(平成9年)7月に春日富士改め20代春日山が独立し、春日山部屋が再興された。2000年(平成12年)には4代安治川の直弟子の安美錦が関取に昇進、その後安壮富士、安馬が後に続いて関取になった。
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