学校を“若松台”へ移転
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「陸軍経理学校」の記事における「学校を“若松台”へ移転」の解説
1898年(明治31年)11月、学校施設のうち生徒舎を東京市牛込区河田町の陸軍士官学校分校跡に移転した。翌年11月、本校を生徒舎構内へ仮移転し、1900年(明治33年)3月、新築中の校舎落成を待って陸軍経理学校は正式に牛込区河田町へ移転した。学校の公式な住所は河田町であったが隣地である若松町の名がよく知られ、陸軍士官学校が通称市谷台と呼ばれることにならい、陸軍経理学校は若松台とも呼ばれた。 1899年(明治32年)12月、陸軍武官官等表中改正(勅令第411号)が施行された。この改正で、一等から三等までの書記であった軍吏部下士の階級名が一等から三等までの計手に変更された。また憲兵科を除く各兵科の特業下士であった縫工長、縫工下長と、靴工長、靴工下長は廃止され、軍吏部下士に一等から三等までの縫工長、および一等から三等までの靴工長が新設された。 陸軍武官官等表中改正による陸軍経理官の階級は次のとおりである(1899年12月時点)。 将官相当官 陸軍監督総監(中将相当) 陸軍監督監(少将相当)監督部 上長官: 陸軍一等監督(大佐相当) 陸軍二等監督(中佐相当) 陸軍三等監督(少佐相当) 士官: 陸軍監督補(大尉相当)軍吏部 士官: 陸軍一等軍吏(大尉相当) 陸軍二等軍吏(中尉相当) 陸軍三等軍吏(少尉相当) 下士: 陸軍一等計手(曹長相当) 陸軍二等計手(軍曹相当) 陸軍三等計手(伍長相当) 下士: 陸軍一等縫工長(曹長相当) 陸軍二等縫工長(軍曹相当) 陸軍三等縫工長(伍長相当) 下士: 陸軍一等靴工長(曹長相当) 陸軍二等靴工長(軍曹相当) 陸軍三等靴工長(伍長相当) これに合わせ同年同月、陸軍経理学校条例中改正(勅令第418号)が施行された。改正学校条例第1条により陸軍経理学校は「陸軍監督補、陸軍軍吏および陸軍縫工長、陸軍靴工長と為すべき者を養成する所」と定められ、学校の被教育者のうち生徒を縫工科と靴工科の工長候補生に改めた。 学校条例中改正による陸軍経理学校の被教育者は次のとおりである(1899年12月時点)。 監督学生 陸軍監督補となるべき教育を受ける。 年齢40歳以下の各兵科大尉、一等軍吏、および実役停年1年以上の各兵科中尉、二等軍吏の志願者で試験に合格し選抜採用された者。陸軍大学校卒業者は試験を行わない。修学期間は約2年。 軍吏学生 陸軍軍吏となるべき教育を受ける。 年齢32歳以下の歩兵科、騎兵科、砲兵科、工兵科、輜重兵科の現役特務曹長、および1年以上その階級にある前記各兵科の現役曹長と陸軍一等計手の志願者で試験に合格し選抜採用された者。修学期間は約1年。 工長候補生 縫工科は陸軍縫工長に、靴工科は陸軍靴工長となるよう養成される。 各隊の初年縫工卒、初年靴工卒以外、および陸海軍の予備、後備役以外の者のうち召募試験の合格採用者。修業期間は約1年。
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