学名と「破門草事件」とは? わかりやすく解説

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学名と「破門草事件」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/17 01:42 UTC 版)

トガクシソウ」の記事における「学名と「破門草事件」」の解説

伊藤篤太郎(1865-1941)は、本草学者で、東京大学教授伊藤圭介(1803-1901)の孫であり、当時東京大学植物学教室出入り許され在野植物学者であった伊藤篤太郎は、自分叔父伊藤謙(1851-1879)が1875年明治8年)に戸隠山採集し小石川植物園植栽した本種の標本を、1883年明治16年)にロシア植物学者マキシモヴィッチ送りマキシモヴィッチ1886年ロシア学術誌サンクト・ペテルブルク帝国科学院生学会雑誌」にPodophyllum japonicum T.Itô ex Maxim. として、メギ科ミヤオソウ属の一種として発表した東京大学植物学教室矢田部良吉(1851-1899)教授1884年明治17年)に戸隠山で本種を採集し小石川植物園植栽した。2年後1886年明治19年)に開花し1887年明治20年)にマキシモヴィッチ標本送り鑑定仰いだところ、翌1888年明治21年3月マキシモヴィッチは「本種はメギ科の新属であると考えられ、Yatabea japonica Maxim. の学名つけたいが、正式な発表前に花の標本送ってほしい」と回答した伊藤篤太郎はこの矢田部教授動き聞き、既に自分発表したPodophyllum japonicum がミヤオソウ属の一種ではなく新属であることを知りまた、属名が Yatabea と矢田部教授献名される予定であることを知った伊藤篤太郎は、叔父伊藤謙採集し自分最初に学名をつけた植物の学名矢田部教授献名されることにあせり、1888年明治21年10月に、イギリス植物学雑誌 Journal of Botany, British and Foreign 誌に、新属 Ranzania T.Itô を提唱し、Podophyllum japonicum T.Itô ex Maxim. (1887) をこの属に移し新組み合わせRanzania japonica (T.Itô ex Maxim.) T.Itô (1888) として発表したマキシモヴィッチによる Yatabea japonica Maxim.は、伊藤による発表後であるため、この学名無効となり公にならなかった。矢田部教授はこのことを知って怒り伊藤篤太郎植物学教室出入り禁止処分にした。トガクシソウ俗に破門」という隠れた名前がある。 ともあれこの件により、伊藤篤太郎トガクシソウは「日本初め学名をつけた人物」「日本人により学名付けられ最初植物」とされている。

※この「学名と「破門草事件」」の解説は、「トガクシソウ」の解説の一部です。
「学名と「破門草事件」」を含む「トガクシソウ」の記事については、「トガクシソウ」の概要を参照ください。

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